つりの技術を身に付けたのは少年時代

2018年9月5日

釣りというのは、自分がその釣りができる環境のもとで、何釣りに興味を持つかが変わってきます。

私は、幼少の頃、父親にハゼ釣りに連れて行ってもらい釣りが好きになったのですが、幼少だった私は1人でハゼ釣りができる現場にまで出向くことができないので、父親に連れて行ってもらえる釣りを必然的に好きになったんです。

その後、シロギスのボート釣りに頻繁に連れて行ってもらえるようになりましたが、バケツの中に入れてもすぐに死んでしまうシロギスよりも、バケツの中でいつまでも活きているマブナやコイに私は興味を持ちはじめました。

その頃は、私も小学生になっており、幸い私の家の近所にはコイやマブナ釣りをすることができる、池がありました。

そこが、小学校時代の私の遊び場でした。

殆ど毎日、その公園で釣りをしていたので、園内では知っている人がたくさんいました。

やくざ風の人や、毎日昼間っから酒ばかり呑んでいるような、ロクでも無い親父たちばかりでしたが、そのような人たちとも仲が良くて、物凄く楽しい小学校時代を過ごすことができました。

園内で仲良くなった人たちとは、色々なところに釣りに遠征をして、釣りの技術もメキメキと上達していきました。

淡水釣りは、述べ竿を使うじゃないですか?

だから、大きな魚とのやりとりを、細い仕掛けでできるようになるんです。

それって、釣りの基本なので、にわか仕込みの下手な磯釣り師よりも、レバーブレーキの扱いには自信があります。

しかし、私はレバーブレーキが苦手で、未だにこの使い方であっているのかと、疑問に思う節があったりします。

昔、その近所の池の釣り仲間と、チャリンコを漕いで、よく石神井公園の「釣り道場」という釣り堀に行きました。

私たちは、どこへ行くのも、移動手段はチャリンコでした。

そこで、へらぶな釣りではなく、コイ釣りをやるのですが、「釣り道場」のコイは、1mに近い主みたいなコイがゴロゴロといたんです。

それをへら竿で狙うのですが、使用するハリスだって、1号ないし、1.5号ですよ。

ハリだって、ヘラスレの1号とか2号を使用していましたから。

そういう釣りが、私たちの中では主流だったので、如何に細くて小さなハリで釣り上げるかに意味があったんです。

だから、「釣り道場」でコイがかかっても、殆どまともに上げることができず、たまたままともに釣りあげられたとしても、それはコイが弱っていて、あまり引く力が残っていないような魚が多かったように思います。

その代わり、述べ竿での大ゴイとのやりとりの技術は本当についたと思います。

以前、20歳位の時、彼女と熱海に旅行に行った時、一通り街をぶらぶらしたり、プールに行って泳いだりした後、やることが無くなった時、釣り道具屋で貸し竿を借りて、アミコマセを撒きエサに釣りをすると、巨大なボラが回遊してきました。

ボラと言うと、熱海の防波堤ではかなり有名で、私が幼少の頃、家族旅行で親父が掛けたことはありました。

当時の竿は、竹竿の並み継ぎ竿だったので、そんなので巨大なボラが上げられるわけがありません。

最後は、ボラに竹竿の穂先を折られて、釣り仕舞いとなったことを記憶しています。

私の時は、それから10年後、親父の雪辱ではないですが、大型のボラをバンバンと釣り上げることができました。

私が使用していたのは、グラスファイバーの述べ竿で、3.6mの長さがありました。

仕掛けの太さは、ハリスが2号くらいでしたが、それでも十分に、60cm位のボラとは充分に遊ぶことができました。

堤防の淵に座りながら、ボラと格闘をしていると、海に引きずられるような引きを楽しませてくれます。

私が、「おおおおおお」と言いながら、海に引きずり込まれる素ぶりをみせると、私が本当に海に引きずり込まれてしまうのではないかと思い、私の腰を一生懸命、彼女が抑えてくれていました。

私は、このように幼少の時の経験により、釣りにはかなりの自信があるのですが、それだけにこの間今までに1回も釣りで負けたことがない友人に、釣果で差を付けられたことはかなりのショックでした。

彼は、どちらかというと、不器用なジャンルに分類されるタイプの人間だったので、釣りが上達するとは到底思いませんでした。

そんな彼が、DVDを観て、実際に名人級になっていたので、釣りが本当に上達をするDVDの存在は否定できなくなりました。

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